長編「緑」の番外でその後ですが、このままでも読めます。
食物繊維が不足しています。
野菜の価格高騰。キャベツに始まり何から何まで全ての値段が跳ね上がり、とてもじゃないが手が出せない。そうなると自
然、食卓からも緑が消えていくことになる。野菜が使えないとなるとまた献立も限られてくるので、ただでさえレパートリ
ーの少ない私はてんてこ舞いである。夫の仕事が忙しい平日ならばともかく、休日は夕飯を作らない訳には行かないので、
仕方なくこうしてうんうん唸って献立を考えているのだが。目の前に座る夫の顔を見やる。澄ました顔で夕刊を読む姿はこ
こ一年で大分見慣れたものだが、新婚当時はこれが永遠に続くのかと思うと息が詰まりそうになったのを覚えている。なん
て、嘘だ。元就さんがどんな人かを理解しているので、話しかけるのにだってもう躊躇ったりはしない。何だかんだで私達
は今もやっていけている。時計を確認すると午後4時。日曜日ももう終わりだなあなんてしみじみ思いながら、元就さんに
声を掛ける。
「元就さん、今日のお夕飯は何がいいですか」
「何でも良い」
「その答えが一番困るんですってばー・・・。どうしよう・・・・」
机に頭を伏せてうな垂れる私を見た元就さんは、一つ溜息を吐くと新聞を畳んでこちらを見た。こういう時、察しのいい夫
で本当に助かると思う。
「車、出してくださーい・・・」
「・・・車か」
「はい、車です。5時から特売があるんです」
それによって決めます。と言えば納得したのか「良かろう」と元就さんが言った。なので、二人で席を立って家の外にある
車庫へと向う。夫婦揃ってインドアなので車に乗るのなんて本当に久しぶりだ。しかも休日に一緒に。
「なんかこのまま海にでも行きたくなってきますね!」
結婚前に見合いで連れまわしてもらった時から今までずっと、この車を使い続けている。何だか妙な愛着があって、乗るだ
けで気分が高揚してくるのだった。行き先がスーパーというのが何とも気落ちさせるが。
「またの時に行けばよかろう」
「ですね!」
拒否しないという事は、元就さんもそう思っているということである。分かりづらいけれどこの言い方はそういうこと。助
手席に乗ってシートベルトを締める。楽しい気分のままでふふ、と笑うと、エンジンをかけた元就さんがハンドルを握る前
に軽いキスを一つくれた。でもすぐに前に向き直ってしまう。坦々とした顔をして、何を考えているんだか。
「さて、まだ特売まで時間があるので色々見て回りましょうか」
カートとカゴを用意したら、まず目に入るのは生鮮食品コーナーだ。その中でも一番手近にあるフルーツと野菜の棚を見
る。鼻を擽る柑橘類の香りに誘われて、グレープフルーツを一つカゴに入れた。98円ならまあまあだ。私が見ている間に
どこか行かないで下さいね、と横に立つ元就さんに言えば、分かっておる。と少しぶすくれたお返事を頂く。子ども扱いさ
れているように感じたのかもしれない。すぐに機嫌を損ねるのだから、面倒くさい夫である。まあ意外性があって可愛いか
らいいんだけれど。
「うーん、やっぱり高いなー・・・」
そのフルーツコーナーから横に移動して野菜を見れば、キャベツ一玉250円の値札。何をどう考えても高すぎである。こ
れでまずはロールキャベツが今夜の献立から消えた。他にも見てはみるけれど、総じて葉菜類は値段が高かった。レタスも
使えそうにないなと頭のメモにペケ一つ。
「元就さん」
「何ぞ」
「なんかこう、お肉が食べたいとか、そういうのってありますか?」
「・・・野菜が足りておらぬ」
「私もです。あきらめてください」
「ならば初めから聞くで無いわ」
ガラガラとカートを押す私の少し後をついてくる元就さんと軽口を叩く。元就さんは肉やお魚よりも野菜を好んで食べる。
それでなくても少食なので、余計に栄養を考えて料理を作らなければいけない。とりあえずビタミン不足はまだそこまで深
刻では無いと思うけれど、本人が言うならばそうなのかもしれない。明日の朝食には先程のグレープフルーツを出す事にし
よう。カルシウムも必要な気がするけれど、そこは敢えて言わないで置く。視線を戻すと、足元に置かれたダンボールの値
札が目に飛び込んできた。
「あ、ネギはまだかろうじて高騰を免れているようですね」
「買ったところで何に使うのだ」
「いいんですよ、あるに越したことはありません。入れておきましょう」
1本98円。これはお買い得だ。ダンボールに入れられたネギの見た目のよさそうなのを1本選んでカゴに放る。土に塗れ
たそれを見つめて、元就さんは「そう言ってそなたは前回玉ねぎを腐らせたな」と私の記憶の痛いところを突いた。
「いえ、今回はその反省を生かして早くに使い切りますので」
「ならば良いが」
「絶対大丈夫です。誓います」
元就さんの坦々とした口調がお前はまたやらかすよと言いたげに聞こえるので、これは負けられないと拳を握る。味噌汁に
でも入れて絶対に使い切ってやろう。そうと決めて先ほどよりも強くカートを押し進める。すると前方に見えてきたのは卵
の乗ったワゴン。掻玉汁は元就さんも好きだったし、ラーメンにどぼんちょと落とし入れても良いだろう。玉子焼きも出来
るしネギと違ってこれはあっても困らない。
「卵は間違いなく買いですからね!」
「ふん」
納得してくれたようだ。卵を一パック入れたついでにカゴの中に入っている物を確認する。グレープフルーツにネギに卵。
夕飯に使う材料は一つもなしと。さて、どうしようか。なんというか、あまりに献立や食べたい物が思い浮かばないので考
えるのも面倒くさくなってくる。栄養やバランスも、もう半ば以上どうでもよい。
「千切りキャベツを抜いたトンカツなんてどうですか?」
「我は出されたものに文句はつけぬ。の好きにするが良い」
「って言う割には嫌そうな顔ですね。野菜がどうしても欲しいのであればスイートコーンでも添えましょうか?」
「そのような事をしたらどうなるか、分かっておるのであろうな」
「・・・・・・冗談ですってば」
結局トンカツが嫌なんじゃん。じとり睨んでくるならば、初めからはっきりと今日はトンカツを食べたい気分じゃないと言
えばいいのに。まあ私のためを思って妥協してくれたのかもしれないけれど。でもトンカツにコーンなんて元就さんじゃな
くて私でも嫌だ。あーあ、でもそんなこと言ってたら今日のお夕飯がいつまでたっても決まらないぞ。
「もう昼の残りのお素麺を茹でて食べるので良くないですか?」
「とうとう手抜きか。夫に対して随分な・・・」
「だから!そう言うなら元就さんも考えてくださいって言ってるじゃないですか!」
専業主婦は良いな。などと元就さんに言われる事があるが、ちょっと待て。じゃあお前やってみるか?と言いたくなるのだ
が、まさか元就さんにそんなことは言えるはずもなく。結婚当初の「我は家事を一切手伝わぬ」の宣言を思い出す。亭主関
白は分かり切っていることなので今更文句は言わないが、お夕飯を決めるのに手伝うくらいはしてくれてもいいんじゃない
だろうか。なにも提案しないならもう本当に素麺にしてしまうぞ、と元就さんをじと目で睨んだ時、ピンポンパンポンと店
内アナウンスが入った。
『只今より、タイムサービスを行います』
キタ。というかすっかり忘れていた。この為に車を走らせて来たのだった。
「も、元就さん!今から特売ですよ・・・!」
「言われなくても聞いておる」
ツンとした表情の元就さんだが、その端正なお顔からはこの時を待ちわびたと言わんばかりのわくわく感が滲み出ている。
クリスマスを待ちきれない子供の様だ。我が夫ながら、こういうところは可愛いと思ってしまう。しかしこの雰囲気ならば
、特売品で買って作った物には文句をつけなさそうである。味がまずくなければだが。つまりそれを材料にお夕飯を作れば
いいんじゃないだろうかと、心の中でこっそり思案する。アナウンスが始まり、次々に特売品が読み上げられる。
『また、トマト、一パック198円、ジャガイモと玉ねぎが一個16円…』
ビタミンが取れるとはいえ、トマトは今焦って買う必要もない。かといってジャガイモも。肉じゃがでも良いけれど、そう
なるとお肉の値段が気になるところ。玉ねぎは前回大量に買いだめしたせいで腐らせてしまった苦い思い出があるので暫く
はいいかな。
『・・・牛肉が100グラム98円』
「牛肉安い・・・!!」
もう豚肉でも買ってジャガイモにするかなと考えていたけれど、牛肉が使えるとなるとまた話しは変わってくる。ちょっと
待てよ。と再度頭の中で牛肉を使ったメニューを考える。
「卵とネギ・・・」
玉ねぎは使わない。ジャガイモも牛肉とは合わせたくないな。トマトはいいけれどメニューが思い浮かばない。でもせっか
くならばカゴの中に卵があるので、これを使いたい。それから使い切ると宣言した手前、ネギも入れたいような。となると
今夜は。
「・・・すき焼き、いっちゃいます?」
「・・・・・!!」
元就さんの顔が一瞬輝いたのを見逃す私ではない。口を少し開け、ふるりと喜びに震えた姿は私だけが見れた妻の特権。次
の瞬間にはまたいつものすましたお顔に戻られていたけれど、取り繕って見せたって妻を欺くことはできません。ふふふ。
笑ってカートを滑らせる。
「元就さんはお肉二百グラムをお願いします!私はその間にしらたきとキノコをとってきますので!」
「・・・うむ、分かった」
彼は意外にも、好きな物のためには従順なのである。勿論、私に対しても。
「すき焼きの後の〆はうどんで良いですか」
「雑炊に決まっておろう」
「じゃあ間を取って餅で」
「・・・まあ良い」
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アンケお礼夢、元就2位
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