お隣さんちの騒音が凄い。どれだけ凄いかと言うと、新しく引っ越して来た人が一ヶ月経たないうちに出て行
くくらいだ。まあ私の事なんだけど。我慢が出来なくなったので、五日後に引っ越す事にした。いやいや、そ
の前に苦情を言いに行こうと思ったことも勿論あった。だけどお隣さんは変な宗教に入っているらしくて、態
度がでかいと近所でも評判だった。そんな人に話をしても無駄だろうなと思って、声を掛けるのをあきらめた
のだ。そうでなくても夜中に「愛よりパンよネ!」という叫び声や「ひれ伏しなさい!」といった声がする。
新興宗教にしても格が違うなと思った。ので、真正面からやりあうのはやめることにした。しかしこちとら社
会人。不況の中ようやく貰えた内定、今の会社に勤め始めてまだ二月も経っていなかった。だというのに、朝
から晩までザビー教の時間とやらで大音量で教えを説かれては、これで会社の仕事に支障を来たさないという
方が無理な話しである。そんな人間がいたとしたら、それこそ正しく神だ。クビになったらどうしてくれる。
ノイローゼになる前に引越しの決意をしたが、やはり納得がいかない。そもそもは奴等が原因なのだから、こ
ちらが泣き寝入りをすると言うのはおかしい。本来ならば訴えられてしかるべき悪行を行っているあちらが泣
きを見なければ。聞けば、その問題の家に住んでいるのはお金持ちのぼんぼんで宗主様本人だと言うじゃない
か。これが僻まずにいられるか。ますます悔しくなったので、私は引越し前の五日間を使ってこの溜まった鬱
憤をそいつに晴らすことにした。どうせ引っ越すのであれば、最後くらい好き勝手やるべきである。そういう
訳で、私の復讐計画が幕を開けた。
 
 
五日前
まず、復讐の方法を考えてみる。向こうは宗教人と来ているから口では何を言っても駄目だろう。そもそも常 識を求めること自体が間違っている。とくればハンムラビ法典よろしく、目には目を歯には歯をの戦法で行く しかない。気違いには気違いを、である。それから極力、相手に私がやっていると分からせない方法がいい。 バレたら何をされるか分からないからだ。神の名のもとにと言って、寝ている最中に私を惨殺しに来るかもし れない。もはや引っ越しどころではなくなる。のでこっそりと、バレない陰湿なやり方を考えることにした。 で、これらの条件を満たす方法をようやく見つけることが出来たので、さっそく準備に取り掛かるために近く の百円均一に行って便箋と封筒を購入した。準備を終えれば今日はひとまず終了。明日からがいよいよ復讐計 画の始動である。
四日前
いよいよだ。会社を定時に出て帰宅した私はさっそく作業に取り掛かることにした。まず手順はこう。隣の家 の宗主様に惚れている女の子がいるという設定で、ラブレターを出すことにする。ところがこの女の子はとて も恥ずかしがり屋なので、こっそり家のポストに投函するだけで決して姿を見せない。そして肝心なのは、こ のラブレターが単に好きという思いを綴ったものではないことである。書き終え、筆を置いた私は文がおかし くないかの最終チェックをする。 “初めまして、こんにちは。ずっと貴方を見ていましたが、とうとう我慢が出来なくなったので手紙を書いて しまいました。好きです、好きで好きでたまりません。寝ても覚めても貴方の事ばかり、貴方のひれ伏しなさ いと言う言葉を耳にする度に胸の高鳴りが最高潮に達します。この思いをどうしたらいいのでしょうか。いつ も貴方を見ています。貴方がよくお菓子を食べているところを見るので、私も同じ物を買って食べるようにな りました。昨日はカステラでしたよね、私もカステラを食べました。貴方が好きなものは私も好きです。昨日 のお夕飯はカレーライスだったのですね。私もカレーにしました。貴方が食べた物と同じ銘柄のカレーです。 一口口に入れる度に、貴方もこうして食べたのかと想像すると、胸が高鳴ってとても苦しかったです。貴方が 口にしたスプーンを使って食べる事が出来たらもっと良かったけど、なんて。毎日毎日貴方を思って目眩がし ます。思いすぎるあまり、貴方のハンカチを盗ってしまいました。貴方のにおいが染み付いたハンカチ。いつ も大切に持ち歩いて匂いをかいでいます。ああ、罪深い方、私にこんな事までさせてどうしてようというので すか。貴方が振り返って私に気づいてくれる日を楽しみに待っているというに。毎日貴方だけを見ているの に。どうか気づいて、私の愛しい貴方。ずっと貴方だけを見ています。” 我ながら傑作だと思う。この気持ちの悪さ。家が隣同士なのを有効活用できてよかった。食べ物の匂いが漂っ てきて夕飯が何かまで分かってしまうし、会話も筒抜けである。それはこちらも同じだけれど、相手は私が犯 人とは夢にも思わないだろう。ハンカチを失くしたと三日前に言っていたことも知っている。と、これでじゃ あ本当に私が変態さんみたいだ。複雑な気持ちになりつつ、ハートのシールで手紙の封をした。夜、こっそり お隣さんちのポストに投函したので今日は此処まで。
三日前
会社から帰って来て家に入る前、丁度お隣さんちに入っていく住人の姿を見た。向こうの家族構成は知らない けれど、多分あの家の子供だ。内に巻いた髪が可愛らしい、少年と青年の間くらいの歳をした男の子だった。 可愛さに思わず胸キュンしたけれど、そ知らぬふりをして家に入った。いけないいけない。感情に流されては 計画が遂行できなくなる。それから夕飯を食べ終えて一時間、いつもなら始まっているザビー教の時間とやら が無いので、昨日の手紙は読んでくれたようだと悟った。効果覿面。ザビザビ五月蝿いラジオが流れないの で、おかげでゆっくり風呂に入る事が出来た。次の手紙は明日の朝早くに渡しに行こう。警戒して見張ってい るかもしれない。寝る前にカーテンを開けてお隣さんちを見てみると、丁度真ん前にあった向かいの家の窓が 開いた。それはつまりあのお隣さんの家の窓である。反射的にカーテンを閉めたけれど、帰宅した際に見かけ た内巻き髪の男の子と目が合ったような。気のせいだろう。うん。そう思うことにした。
二日前
朝、犬を連れている人にもランニング途中のおじさんに会う事もなく、無事お隣さんちのポストに手紙を入れ て出勤することが出来た。会社では仕事をしながら明日渡す手紙の内容を考えた。いい加減食べ物を言い当て るだけでは向こうもまたかと思ってしまうだろう。より気味の悪い内容を取り入れなくては、あの忌まわしい ザビー教の時間が復活してしまうかもしれない。元々あまり良く無い頭を捻って何とか考える。しかし立花と 呼ばれている大きなおっさんは見たことがあったけれど、子供がいたとは初耳だった。子供と言うには私と歳 も近いしそう変わらないけれど、あの男の子も例の宗教に入っているんだろうか。可愛いのに、勿体ない。っ て私は何を考えているんだろうか。今までされてきた憎むべき所業の数々を忘れたわけではあるまい!家のポ ストに入っていた貴方の洗礼名はあんパンですと書かれたビラを私は未だ忘れてはいない。と考えていたらま たムカついてきたので、今日も全力で復讐してやろうと気合を入れ直した。いよいよ残すところあと一日。 これまでになく情熱の篭った手紙を認めて、ハートのシールで封をした。もうなんだか憎しみが愛に変わって すらいる。楽しくなってきた。夕飯時を狙ってポストに入れに行くと、帰り際にお隣さんちの二階の窓が開い た。反射的に見上げてしまい、内巻き髪の男の子と目が合ってしまった。見下ろしてくる目に冷や汗が全身か ら噴き出すのを感じて、一目散に家へと逃げ帰る。絶対に見られた。何で上を見てしまったの、私のバカ!
一日前
今日は手紙を出さない、出せない。本日の活動はなし。私がしなければいけないことは荷物を纏めて一刻も早 くこの家を引き払う事だけである。緊張か不安かストレスか原因はそのすべてであるように思う。朝起きた時 に感じた口から心臓か胃かあるいはそれ以外の臓器が出てきそうな感覚が、時間の経過とともに更に酷さを増 してきていた。限界だった。もう間もなくやってくるお隣さんは、きっと全信者を率いて私の家へと押し入っ てくるはずだ。そしてザビー様の名のもとにと言って私をめった刺しにして殺すに違いない。ああ、恐ろし い!!今すぐにでも家を出て逃げてしまいたいのに、これまで嫌がらせの手紙を書くのに時間を費やしてしま ったせいで、肝心の引っ越しの梱包作業を終わらせていなかった。泣きそうになる気持ちを抑えとどめて、と もかく手当たり次第に段ボールに詰めていく。早いところ家を出なければ、有給休暇を取っておいて正解だっ た。この分なら何とか、お昼までには新居へと向かう事が出来るかもしれない。と、その時。ピンポーンとい う、私の人生が終わる音が聞こえた。そんな。早すぎないか。まだ午前9時だ。いや、もしかしたら引っ越し 業者かもしれない。そうだ、そうであってくれと祈りながらドアを開けると、それよりも早くドアが真っ二つ に割れた。間違いない、奴だ。こんなことが出来るのはザビー教信者だけだ!! 「きゃあああああああああ!!ごめんなさい!ごめんなさい!」 「待ちなさい!!」 家の奥へと全力で逃げる私の手首をつかんで引きとめたのは、あの例の男の子だった。その背後にはチェーン ソーを構える髭もじゃの立花さんが立っている。ああ、今日は13日の金曜日ではないはずなのに。そんな絶 望の気持ちで死を覚悟して可愛い男の子へと視線をやれば、見覚えのある便箋が私の前に垂らされた。 「これは、お前が書いたもので間違いありませんね?」 はい、そうです。と答えたらぶん殴られそうな気がした。彼らの方が悪い事をしているのに、理不尽だ。しか もボンボンが年上の私のことをお前呼び。不満はたくさんあったけれど、引っ越し前に痣を作りたくは無いの で私は大人しく頭を下げた。 「ごめんなさい!本当に私、ちょっとした冗談のつもりで・・・!」 「冗談!?」 「ひえっ!ご、ごめんなさい!ごめんなさい!」 「許しません、絶対許しません・・!」 答え方を間違ってしまったらしい。肩を怒りにわなわなと震わせる男の子は真っ赤な顔で私を睨んだ。ていう か、ザビー教の宗主ってこの子だったらしい。随分若くないだろうか、その年にして宗教に傾倒するってやば いと思うんだけど。可愛いのに、勿体ない。ってあれ、前にも同じことを思わなかっただろうか。そんな事を ぐるぐる考えていると、不意にぐしゃりと何かが潰れる音がした。顔を上げると、私が書いたあの気持ち悪い 手紙が男の子の手によって潰されていた。相当怒っていらっしゃる・・・!これはいよいよ殴られるぞと思い 目を閉じると、憤慨した男の子が口を開いて声の限りに言った。 「お前のせいで、僕はザビー様のことが考えられなくなったのです!!」 頬に衝撃が来ない。吐かれた言葉を理解しようと目を開けると、真っ赤な顔で睨んでくる男の子がいた。私の せいでザビー様のことが考えられない?それは一体どういう意味だと眉を顰めると、唇を噛んだ男の子が先ほ ど握りつぶした手紙を持ち直した。皺を丁寧に伸ばして折りたたむと、懐にしまう。それでようやく、分かっ た。 「それは、私のせいじゃないと思います・・・」 「お前のせいです」
当日
お引っ越しは無期限延長、つまり取り消しになった。とはいえ、家は引き払う事が決まっていたので行く当て が無いと困っていると、大友宗麟君は当然のようにして荷物を外に運び出してしまった。私の荷物をどこにい 持っていくのかと焦って後を追うと、あの忌まわしいお隣さんちの玄関に吸い込まれていくではないか。見る 間にお引っ越し完了。「今日から同棲ですね」とはにかむ彼に、私はもうなんて言ったら良いのか分からなか った。ただ、宗麟君の笑顔は可愛かった。
シューティングスター飛んでいく運命