「かすていら?」
「そう、カステイラ」

宗麟が頷いた。南蛮の書物やら何やらを宗麟から貰う事はあっても食べ物は初めてだ。明や朝鮮との交易に勤
しむ宗麟は、いつ何処でどうなったのやら南蛮の妙な宗教、ザビー教に入信してからというもの異常なまでに
異国やその文化に傾倒していった。積極的に海外貿易を執り行うようになり、また幼き当主として領内を仕切
るのにも忙しい日々。幼馴染の顔なんて忘れたかな、と思わせるほどには此処最近会っていなかったから、城
に呼ばれたときには何事かと思ったのだが。  
 
「ねえ宗麟。貰えるなら嬉しいけどどうやって食べるの。それにこれ、何で ふわふわしてるの?」 
「それはザビー様がくださった南蛮の菓子です。何もせずにそのまま食べるのだそうですよ」
「へえ」 
  
ザビー様。私も一度会ったことがある方だ。その時は確か宗麟との繋がりで顔を会わせただけだったから会話
という会話はしていないけれども。結果的に私がザビー教に入ったのも宗麟に無神論者と言われて嫌われない
ようにするためだったから私にはザビー様もザビー教もどうでも良かった。宗麟は近くにいた従者にカステイ
ラとやらを渡して膳の準備をするよう言うと、付いて来なさいと言って廊下を進んだ。  
 
「・・・日ノ本は、遥か果ての異国に住まう方々には黄金の国ジパングと呼ばれているそうですよ」 
「へえ、黄金の国」
「黄金などと!ザビー様の教えを持つ異国の文化の方が遥かに素晴らしいと僕は思いますけどね」 
 
先を行く宗麟が振り返って、そう思うでしょう?と両手を広げて同意を求めて来た。宗麟は見た目のまんま、
中身もまだ幼いから機嫌を損ねると大変だと知っている私はそれに深く頷いて肯定した。会うたびに宗麟がし
てくれる異国の文化や知らぬ知識を聞くのが私は大好きだった。南蛮では家にまで靴で入るとか、風呂には入
らないのだとか聞いた時には酷く驚いたものだ。言ってしまってはなんだが、不潔だなあと。そうは思わない
宗麟はきっともう、異国の文化に狂ってしまって感覚が麻痺しているんだと思った。だけど宗麟に嫌われたく
ないからそれは言わない。私の返事に満足したらしい宗麟は、殊更納得したように頷いて見せた。 
  
「ねえ宗麟。でも私、日ノ本は好きだよ。宗麟は嫌い?」
「何故そんな事を聞くのです?」
「だって日ノ本は私と宗麟が生まれた国だよ?日ノ本があるからこそ異国にも憧れを抱くんじゃない?
でしょ?」 
 
ね、と今度は私が首を傾げて同意を求める。一刹那、狐に抓まれたような顔をした宗麟だったけれど、直にい
つもの勝気な顔に戻ると貴方は馬鹿ですね、と言って私を置いて歩き出してしまった。何でこうも乙女心を分
からないのかと肯定しない事を残念に思いながら宗麟の背中を追うけれど、直に気がついた。幼さゆえか、感
情をまだ隠しきれていない宗麟の耳が薄っすら赤くなっていることに。どうやら私の言った事は肯定と受け取
っていいらしい。
 
「そう言えば立花さんは?まだ会ってないんだけど」
「次の戦に備えて、今は作戦会議に出ています」
「え。宗麟は行かなくていいの?」 
 
私が聞くと、宗麟は知り合いでなければ気づけない程に小さく眉を顰めて苦い顔をした。それで思い出す。ザ
ビー教では殺生はしてはいけないと戒律にあった事を。この戦国の世にあって殺生をするな等と武将に説くの
は、生き物に食べ物を食べるなと言っているのと同じことだけれど、ザビー教を篤く信仰する宗麟にしてみれ
ば一番の葛藤所なのだろう。そんなザビー教も宗麟も馬鹿みたいだと、実は私が思っていることを知ったら宗
麟はなんて言うだろうか。宗麟の少し釣りあがった目を覗き見る。 
  
「毛利に動きがあるんだっけ」
「島津の方もですよ」
   
話を少しずらしていると、先程宗麟に頼まれた従者が切り分けたカステイラを持って縁側までやってきた。断
りを入れてそれを置くだけして去ると、目の前には大根おろしの添えられたカステイラが残されていった。 
 
 「何?大根おろしと食べるお菓子だったの?これ」
「僕に何でも聞かないでください」
「ザビー様は何て言ってたの?「愛より〜パンよね!」ですか?」
「、ザビー様を愚弄するのはいくら貴方でも許しませんよ」
「滅相も無い」 
  
だけどさっきそのまま食べると言ったのは宗麟の方だ。大根おろしを添えるようじゃお菓子だなんてとても言
えないはず。宗麟もそう思ったのか、後であの者には仕置きが必要ですねと横で坦々と言っていた。こんな下
らない事でお叱りを受ける部下の方も哀れの極みだよなあ、なんて同情しながら箸を取る。  
 
「本当、宗麟の頭にはザビー様の事しか無いよね」
「確かに。しかしそうでもありませんよ」 
 
カステイラを一欠片口に入れたところで、隣に座している宗麟から相反する二つの返事が返された。どういう
ことだと思いつつ、しかし口の中にあるカステイラのせいで喋る事が出来なかった。ちなみにこのカステイラ
とやら、もそもそとしてお世辞にも美味しいとは言えない。口が渇くのを添えられていた大根おろしで中和し
てようやく飲み込むことが出来たのだが従者の方がした事は正しかったと証明されてしまった。宗麟もそう思
ったのか、仕置きは無しにしましょうと言った。しかし南蛮ってところは医学や文化は優れているというの
に、食はこの程度なのだろうか。だとしたら私はよっぽど団子のほうが好きだと思った。  

「今日は満月だそうです。も月見でもして行かれたらどうです?」
「ああ、うん。私もそう思ったところ」 
 
二人で箸を置く。お皿にはまだ一欠けしか減っていないカステイラが鎮座していたけれど、私も宗麟ももう十
分だった。何もかも、最近は思想までも異国に傾倒している宗麟だからカステイラもザビー様がくれた物と言
って無理して食べるかと思っていただけに、それは少し意外に思えた。宗麟にもまだ、食べ物の味の良し悪し
くらいは判断出来るらしい。今宵は月見団子かーと呟きながら、何だやっぱり宗麟も日ノ本の人間なんだなと
風流を解する心が残っていた事に安心した。だって今日は曇りで、月なんて見えやしない。



異国かぶれのジャパネスク