石田三成は酷く気難しい男だった。その事に対しては彼自身も自覚があったし、周りの知人もよく知っている
ところであった。しかしそんな彼に頼みごとがあるといって放課後に職員室に来るよう言った担任の言葉で、
仕方なく彼は先輩の帰路の共につく事をあきらめ、見るからに不機嫌な顔で放課後の廊下を進むことになっ
た。職員室に入ってきた石田三成を見つけた教師は、彼の殺気立った様子に自分のしでかした事の重大さにそ
こでようやく気づき、生徒相手に頭を下げたのだったが、そんなことはいいと用件を言うように睨む生徒の瞳
に気圧されて震える声で此処に呼んだ理由を話し始めるのだった。教師が生徒に腰を低くして頼み込むその姿
に威厳は欠片も無い。教師からの話を聞き終えずして眉を顰めた石田三成は何故その役目が自分でなければな
らないのかと疑問を持ったが、クラスにおいて頭が良く、規律を尊守する模範的な生徒であることを考えると
成る程確かに自分は一部、当て嵌まると納得したのだった。とはいっても疑問や不満はまだ大いに残っていた
のだが、それを待たずして教師はさっそくと難題を押し付けてきたのだった。気の短い彼はそれを聞いた瞬間
にその場で立場を忘れて教師に蹴りを入れたい衝動に駆られたものの、それをするだけ時間の無駄だと自分を
抑え込み、踵を返して元来た自分の教室へと向かった。そして放課後の誰もいない教室のドアを些か乱暴に開
ければ、そこにいたのは車輪のついた銀の椅子に腰掛ける酷く可憐な少女だった。
 
「・・・というのは貴様か」
「はい、そうです」
   
そう言って夕焼を背に微笑んだ少女の顔は残念なことに黄昏に翳ってしまい見ることは叶わなかったのだが、
そんな事にロマンを感じる男ではない石田三成は構わず彼女のもとへと大またで歩み寄り、その姿を確認し
た。石田三成は教師から、足が悪く歩けない少女が復学するまでの二週間放課後に勉強や学校の案内をするよ
うに頼まれた。それを聞いた石田三成は一体どんな柔な人間が来ているのかと相手をするのを煩わしく思った
が、実際に見てみればなんてことは無い。多少気が弱そうではあるが、単に車椅子に座っただけの同い年の女
だった。その相手を任されたのが自分というのが彼自身、人選ミスでは無いかと思いはしたが、成績におまけ
をすると憎らしくも餌を突きつけてきた教師に踊らされてやろうと二週間の相手を請け負うことにしたのだっ
た。しかし何よりも彼の敬愛する先輩がそれを推奨したことが切欠としては大きかったのだが。
彼女、は酷く内気で世間知らずな少女だった。
石田三成は最初、あまりの内気ゆえの消極的な発言や物の考え方に苛立ちを禁じえなかったのだが、次第にそ
れが彼女の生い立ちから来るものだと気づき、怒鳴るのを止めて我慢をするようになった。石田三成と言う男
に我慢は酷く似合わないことではあったが、そうしなくてはならない事が起きた。そもそも彼は人の身の上話
や不幸も幸せも己に一切関係ないのであれば鼻で笑って終わらせる人間だった。だから今回も、たかが女一人
の足が悪いと聞いたくらいで同情するような心も持ち合わせてはいなかったのだが、唯本人がそれを突っ込ま
れても黙って聞き流すのを目にして、理解が出来ずに腹が立ったのだ。何故言い返さないのか、それは肯定を
意味するというのに貴様は馬鹿かと捻りあげた男達が去っていた後に少女に向き直り怒鳴ると、そこで彼女は
突如として泣き出してしまった。嗚咽交じりに私が弱いのだと石田三成に謝罪を述べ、しかし言い返して車椅
子ごと突き飛ばされたことが過去にあると苦しい経験を語った。それを聞いてようやく自分のしたことが迂闊
であったと気づかされた石田三成は苦虫を潰したような顔ですまないと謝ったのだが、彼女はまたしても、そ
こで彼に気にしないようにと微笑んだ。しかしその笑みは儚げで無理をしているようにしか見えず、更に彼女
を弱々しいものに彼の目に映させた。だから彼は、彼女の前では極力怒鳴らないようにしたのだった。

「友達が、いないんです」  
 
一週間が経った頃、彼女が今まで誰一人として自分に関わった同い年の人間がいないことを打ち明けて来た。
そんな相談を受けるほどにまだ仲がよくなっていない二人だったので、石田三成は例によってどう返せばいい
のか分からず眉を曖昧に寄せることでしか反応が出来なかった。しかし少女はそんな三成の様子を分かりきっ
ていたかのように笑って、友達第一号になって欲しいと願いを口にしたのだった。石田三成はそれに目を見開
いて少女の言ったことを聞いたが、やがて好きにしろとだけ返した。彼にしてみれば、面倒くさいながらも教
師に頼まれたことをやり遂げなければならないとあって、途中で問題を起こすわけには行かないと判断しての
発言だったのだが、少女はありがとうと言って、殊更それを喜んで始終ニコニコとしているものだから、彼と
してはたまらず騙してしまったかのような罪悪感に駆られてしまった。自分に友人の役を頼むなんてどうかし
ていると内心吐き捨てる石田三成ではあったが、彼女の先程の発言が先日の難癖をつけてきた男共と被ってし
まい友人すらもいないことが不憫に思えてならなかった。自分という気難しい人間にも親しくさせてもらって
いる先輩やそれでも友人と言える人間はいると言うのに、彼女には本当に何も無いのだ。そこまで考えて、彼
はようやく自分が彼女に対して同情という感情を持っていることに気がつき、またしても必要の無い感情を知
ってしまったと苦い思いをしたのだが先を行く陽気に微笑む少女の背中を見やった時に車椅子がなければ此処
にもこれない彼女の人生を自分は知ってしまったような気がして、その背中を彼は目に焼きつけたのだった。
儚すぎた少女が天使のように見えた自分はどうかしていると、内心ごちて。それからまた、幾らかの月日がた
った。車椅子に乗る可憐な少女とそれを押す石田三成の図は校内で密かに放課後の名物となっていた。たまに
校舎の窓を通して反対側の棟から聞こえる冷やかすような声が酷く耳障りで、石田三成はうんざりするのだっ
た。しかしちっ、と以前舌打ちをした際に、それを彼女が自分の面倒を見ることが嫌なのだと勘違いして受け
取った事があったので、そうそう気軽に機嫌を面に出すことも出来なくなっていた。全く馬鹿みたいな事をし
ているといちいち少女に気を使っている自分を彼は自嘲するのだが、それでも彼女の相手をするのを苦に思わ
なくなっていたのも事実だった。それをある日、彼、石田三成の先輩である竹中半兵衛と言う男が事の成り行
きを何処で知ったのか、口元に控えめな笑みを浮かべて楽しそうに彼をからかったのだが、その困った先輩は
更に、少女に会ってみたいとまで唐突に口にしたものだから、石田三成は柄にもなく動揺してしまった。勿論
昼間に彼女の姿は学校に無い、おかげでかの困った先輩や下賎な男共の目に彼女が触れることは無いと内心ほ
っとしていた石田三成だったのだが、それも時間の問題だった。
 
「ありがとう、石田君。私、頑張って友達を作ってみるよ」  

唐突にいつもの放課後、彼女が切り出した言葉を耳にして頭を殴られたかのような衝撃を覚えた。いつものよ
うに可憐な微笑で自分を見つめてくる瞳に、彼は自分が二人っきりでいられる時間が永久にあると勘違いして
いたことを思い知らされた。そしてどうしてか、明日の復学を前にして介抱されるのだと喜ぶべきはずの前向
きな発言にさえも全く喜べないでいた。石田君のおかげだよ、とあの日と同じく夕焼を背にして微笑む彼女は
まるで窓辺にたたずむ天使のように美しく見えて喉に詰まった思いをどうすればいいのかも分からず彼は立ち
尽くした。大切にしていた卵が内から孵化するのを喜べないような。それはいつの間にか天使が自分のもとを
飛び立ってしまう予兆に思えた。恋であったと、彼はそこでようやく気付いたのである。



モナ・リザ 相互記念。真雪さんに捧げます。