てーん、てーん、てーん。
 
 


童達の鞠を蹴る掛け声が遠くの方に聞こえた。
四方を竹林に囲まれたこの位置からじゃ何処に居るのか分からないけれど、どうしてか。知っ
ている声が混じっていたような気がして気になった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「お坊さんと結婚したい」
 
 
 
縁側に寝そべっていた私が下顎を床につけたまま言うと、隣で茶をすすっていた幼馴染は理解
できないといわんばかりに眉をしかめて、それから反応に困ったような顔をしてこちらを見
た。竹のさざめく音がして、二人の間には沈黙が下りてしまう。
私が妙なことを突然言い出すのだから、仕方が無いけれど。舞い降りた沈黙にさてどうしよう
かと寝そべったままで隣の幸村の顔を見上げると、彼が手にしていた串団子の一つは地面に落
ちてしまっていた。
驚いて口から取り落としてしまったに違いない。せっかく私が用意してあげたのに。
 

アホ面。
 

口パクでそう言うと、分かったらしい幸村が持っていた団子を皿に置いて突然私へと口付けて
きた。荒々しい口付けは根も葉もない罵倒に怒っている証拠だ。昔は接吻なんてと子供っぽい
反応をしていたのが可笑しかったのに、今では口を塞いでくる様にまでなったか。
だけどまあ、お団子の味がするキスをしてくるのは大人っぽいとは言えないと思った。口付け
の合間にこっそりと目を開いてみると、畳の緑と風に揺れる竹林の蒼が目の端に入った。一面
の緑に幸村の赤は酷く浮いている。それがまるで、ここに存在してはいけないかのように錯覚
させた。
 
 
 

童たちの声はもう聞こえない。
遊び疲れてしまったのか、あるいはそもそもが空耳だったのかもしれない。
ここには物の怪が出るらしいから。物の怪が。
 
 
 
 
 
 









 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「目を合わせてはいけないよ」
 
 
 
ある程度坂を上ったところでお婆ちゃんが言った。
私はその頃、まだほんの子供で、だからお婆ちゃんに手を引かれて何処へ向かっているのかも
分からずにその後を付いていってた。
突然言われた言葉の意味をすぐには理解できず、私は繋がれた手の反対に持っていた小さな巾
着を握り締めて、きっと何か怖いものがくるんだとお婆ちゃんに言われた言葉に子供ながら警
戒をして足を進めることにした。それから程なくして、上り坂の前方から怪しげな人がこちら
に来るのを見た。
 
 
 
あれは虚無僧だ。
 
 
 
お婆ちゃんが小さな声で言って教えてくれた。
遠目に見えた、顔を隠している大きな網籠に異様さを感じ取った私はすぐさまお婆ちゃんに言
われた言葉の意味を理解して頭を地面へと下げた。
刀を、差していた。
いつも行く寺で会う和尚様や僧の方々は勿論そんな物は持っていなかった。そもそも刀が寺に
あるのかすらも怪しい。僧であればあれを使って一体何をしているのか。前を行くお婆ちゃん
はあれについてを知っているのかと考えていると、丁度それが私達の横を通る頃になった。
途端、お婆ちゃんの坂を上る歩みが速くなり、近づいた僧との距離を広げるべく颯爽と足が上
り坂の頂上へと向いて行った。だけど繋がれた私の手はその歩みの速さに悲鳴を上げた。転ん
でしまったのだ。
と、その時後方で土にまみれた葉を踏みしめる音が聞こえた。転んだ私の手を繋いだままで振
り返らない祖母の背がそれに一度強張ったのを見て、確認した私は逆の、そちらの方を抑えら
れない興味と共に振り向いてしまった。おそるおそる、ゆっくりと。
そしてその瞬間、網目傘を隔てたそれと目が合ったような気がした。
 
 
 
 
 

「もう七年が経つ」
 
 
 
そう言ってお婆ちゃんが墓石の前に備えたお饅頭を、顔も知らない相手だと退屈に感じた私は
拝んだらくすねて食べてしまおうとばかり考えていた。
お爺ちゃんの顔を知らない私は、入れ違いになってこの世に生まれてきたという。水をかけ、
卒塔婆を整えた祖母がいよいよと手を合わせるときになって私の袖を掴んで引き寄せた。 


あれは、見なかったことにして。
 

そう言って、固まる私を置いて墓石に手を合わせた。近くの雑木林が風に揺られて葉のこすれ
る音が耳に痛いほどだったのを流して、あれを思い出す。
あるわけが無いことだった。小さな山の頂上にある墓地の方から下って来るその姿が、何も知
らないはずの私に何故かそう思わせたのだとしても。考えを断ち切り、言われたとおりに祖母
の隣にしゃがみ込み手を合わせた私はそれ以降、十何年間もこの話を祖母に持ちかけることを
しなくなった。
 
 
 
「あれの中にいるのは、お爺ちゃんだったの?」
 
 
 
怖くて、ついに聞けないままだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
祖父が眠る墓のある神社は、私達の住む家のすぐ横にあった。
だからといって手入れをしているのが近くに住む私達村の民というわけではなかった。逆にそ
うであればと、することの無い昼間を恨めしく思うほどではあったのだけれど、丁度その頃、
私にも小さなお友達が出来たからそんなことはどうでもよくなっていた。
そこに時々来る同じくらいの年齢をした男の子は、私を見ると遊びに来たと言って手にした鞠
を見せるのだった。どこから来たのかを聞けば甲斐からとしか答えない。
突如現れた弁丸と名乗るその少年は同い年の友達を持たない私には、すぐに気の合う親友とな
った。格好からして裕福であろうとは子供ながらに分かっていたけれど、彼の近くに一緒に遊
ぶのを咎める大人がいなかったことからも、私達の仲は長く続いたのだった。
だけど弁丸が言うにはもう一人、佐助が来ているという。しかしその姿を未だ見たことの無い
私からしてみれば、それは物の怪に違いなかった。
 
 
 
「某、大きくなったら立派な武将となって戦へ赴くのだ!」
 
「へえ、でも弁丸は弱いからすぐに死んじゃいそうだね」
 
「むっ!そんなことはござらん」
 
 
 
からかえばすぐにむくれる弁丸に、あともう少し鞠をしたらおはじきをしようと言って持って
来た巾着袋を見せた。女の子がする遊びを弁丸は最初は嫌がったけれど、私にそれを一緒に出
来る女の友達が居ないことを言うと渋々請け負ってくれた。
承知、と言って従順に頷いた弁丸にいたずら心が湧いた私は鞠を蹴ってわざと遠くにそれをや
った。転がっていくそれは神社の境内を出て、村へと続く長い階段を転がり落ちていってしま
った。謝り、弁丸に取りに行くよう言えば、彼は泣きそうな顔をしながらも駆け出していっ
た。いじめすぎたか。だけど可愛い弟が出来たような、そんな優しい心の持ち主を友達に持て
たことを嬉しく思いながら、竹林の生い茂る中を駆けていく赤い少年を見つめて私は育ってい
った。
 
 
 

てーん、てーん、てーん。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「死んだらさあ、どこに行くんだろうね」
 
「さあ、極楽と言われてはおるが・・・真なのかは某にも分からぬ」
 
 
 
団子を食べ終えた幸村と家を出ていつもの山道を上り始めた。
あれから10年が経って、私と弁丸と名乗っていた少年は17になってお互い立派な女と男に
成長した。
此処5年近くは武将となった彼の評を風に聞くのみで会うことも無かった。
いつの間にか名を幸村と改めた彼がそうしてようやく私の元を訪れたのは昨日のことで、此度
の戦に勝てた暁には私を娶りたいと言って来たのだった。久しぶりに彼に会えた驚きよりも、
私はあの頃のようだと心が安らぐのを感じてそれを了承したのだった。
家に、お婆ちゃんはもう居ない。
一人になった私は歳を重ねる恐ろしさに怯える日々だったけれど、彼が来たことによってそれ
が少しだけ紛れたように思えた。あの頃とあまり変わっていない彼とこの山道をあの日のよう
に二人並んで進んでいると、道端には新しく出来た水子地蔵があった。
 
 
 
「今回の子は、どうして堕とされたんだろうね」
 
「斯様な話をするのは無礼でござるぞ」
 
 
 
流産、死産。
閉鎖的なこの村においては、近親によるそれが多いと知ったのはいつだったか。お婆ちゃんと
お爺ちゃんがそうだったとか、そうじゃなかったとか。真相は教えてもらって無いから知りも
しないけれど、私の今住む家が墓地の近くにあることからその話もあながち嘘では無い気がし
た。あるいは父と母を隔てても尚、私もこの水子のように死んで出てきていた可能性もある。
隣を歩く幸村は何も言わない私をどう思っただろうか。
急に私の手を引いて早足に坂を上っていった。そのことに、私はお婆ちゃんに手を引かれたあ
の日の事を思い出さずにいられなかった。回顧しながら、私と幸村はその祖母が眠る墓へと続
く坂を急いだ。
 
 
 
「ねえ、やっぱりお坊さんには幸村がなってよ」
 
「・・・頭を丸める覚悟は某にはまだ無いのだが」
 
 
 
拝み終えて立ち上がった私がそう言うと、幸村は答えた。
そうしてその足で墓地を出る際、幸村は何気なく墓の入り口に立つその礎に気づいて足を止め
た。彼が食い入るように見つめるそれは、20年程前にあった戦争の戦没者の名が彫られた慰
霊碑だった。
幸村はそれを前にしてしゃがみ込むと、整然と手を合わせて拝み始めた。彼もまたそうだか
ら、戦へ向かったものの気持ちを少しでも汲もうと思い手を合わせたのだろう。彼らは間違い
なく一人一人が名だたる武将だったと私も思う。
 
 
 

祖父と違って。
 
 
 

どういうことなのか、何となくだけど、今になってあの頃のことが私なりに分かってきた。
それに、お婆ちゃんが戦で死んだというお爺ちゃんの名が此処に刻まれていなかったことから
徐々にあの日のことに疑問を持つようになっていた。
拝み終えた幸村がお待たせ致したと謝るのを制して二人で今度こそ墓場を後にする。
明日、幸村は此処を発って二日後に戦へと向かう。関が原が合戦場となると聞いた。今までに
無い戦いになるかもしれないという。もしかしたら戦の日を前にして逃げ出す輩が出るかもし
れない。その場合、同じように私のお爺ちゃんと同じ道を辿る人がある可能性も無いわけでは
なかった。だから多分、そういうことだったのだろうと思う。
祖父は逃げたのだろう、戦を。だからせめてと俗世の自分を殺したのかもしれない。行きと同
じく帰り道でも繋がれた手を強く握れば、幸村は黙って強く握り返してきた。血は争えないの
か。お婆ちゃんの気持ちが少し、彼はお爺ちゃんとは違うけれども分かったような気がした。
死んだら、幸村にもせめて虚無僧になって会いに来て欲しいと無理だけどそう願った。
 
 
 
 
 
「ねえ、もし幸村がお坊さんになったら、そしたら幸村と毎日経を読む振りをして遊べるし、
 お供えのお団子もこっそり食べられるんだよ」
 
「それでは丸っきり生臭坊主では無いか。それも破門されて然るべき程の」
 
「それでいいんだよ」
 
 
 
 
 
幸村の言葉を遮って肯定した。それがいいんだよ。そうじゃなきゃ駄目なんだよ。欲を律しよ
うと宗教によって強く意識すれば余計に欲は強くなって抑えが利かなくなる。それでいい。
でなきゃ今の幸村は自分で抑えられてしまうだろうから、いつまでたっても私達のこの距離は
縮まらない。戦がある限り。いずれ戦に散る彼が僧となってもし難を逃れる事が出来たなら、
この村を出て私はどこまでも幸村を追って駆けて行くのに。あの日鞠を追いかけていった幸村
に、今度は私がなれるのに。
 
 
 
死なないでね。
 
 
 
あの頃とは違ってそれすらも保障出来ないために言えなくなった言葉を呑み込むと、涙が一
つ、湿った土の上に落ちた。私の様子に気づいた幸村が振り返る。女の扱いに慣れていないの
か、キスは出来るくせに慌てた様子でいるのが可笑しくてたまらず笑えば、それにむくれた幸
村はやはり接吻を迫ってきた。幸村の背に腕を回してそれに応えると、彼の背後の笹にせせら
笑う忍が見えた気がした。それはだけど、竹のさざめきだったのかもしれない。
私がそう、錯覚しただけで。
 

物の怪なんて、信じる人が作った幻のはずだ。
 
 
 



 

極楽浄土へ行けなかった子供たち