分かんない。よく分かんない。徳川先輩のせいで石田先輩とお付き合いをすることになった。告白らしい言葉
は石田先輩から貰ってないけど、全校生徒に見られてしまったためにそうなったというか、そうさせられたと
いうか。ともかく今じゃ私と石田先輩はバサラ学園に通う人達の中で名物カップルということになっていた。
その出来事から約一週間が経とうとしている。だけど実を言うと石田先輩とはあの告白劇以来一度も会って話
をしていなかった。付き合っているとは言えない気がするけれど、実際学年も違うのだからそうそう会って話
す機会もない。メアドを教えてもらったけどこれといって話す内容もなかったから、これが高校生カップルの
現実なんだと思った。
雨が降っている。
ボタボタと張り出した屋根を強く打つ音で雨が大粒なんだと分かった。去年の夏は集中豪雨、あ、違う。ゲリ
ラ豪雨なんていうのがあったからもしかしたら今年もそれに近い雨が降るのかもしれない。まだ夏まで季節は
あるけれどそれを予感させるような雨だった。時刻は6時。人気のない校舎玄関、こんなに雨が降っているの
に何故か開け放たれているドアの前で一人立ち尽くしている私がいた。理由は明快。忘れ物を取りに来たの
だ。明日提出のプリントを学校に置き忘れたので渋々取りに来たものの、いざ鞄にしまって学校を出ようと思
ったら外はこの有様だった。雨が夜からと言う予報をなめていた。というか夜って何時からをいうのだろう。
6時って入るのだろうか。止みそうにない雨に頭だけが冷静になって考え事がはかどる。もしこのまま雨が降
り続くのだとしたら大人しく待っているだけ時間が無駄になってしまうんじゃないだろうか。それならいっそ
濡鼠になるのを覚悟で行ってしまおうか。思案していると、後方から靴が玄関タイルを擦る音がした。
「あ、れ。先輩」
振り返るとそこにいたのは石田先輩だった。先輩も声をかけられたことでこちらの存在に気づいたらしく、目
を見開いて少し驚いたような面持ちでいた。
「今帰るところですか」
「ああ」
こちらに近づいてきた石田先輩はそう言うと何故ここに?と言いたげな顔をした。その先輩の右手にあるのは
私が今、喉から手が出るほどに欲している傘だった。
「忘れ物を取りに戻ってきたらこれです。石田先輩は?」
「委員会だ」
「ああ、それはお疲れ様です」
怒鳴ったりがなったりする時の先輩の声は凄く大きくて地を這うような低さだけれど、普段の声はそれと正反
対で加えて言葉が少ないのもあって耳を澄ませなければ聞き逃してしまいそうな程だ。雨の音にかき消されて
取り逃がしでもしてしまったら、そこで会話は終わってしまうだろう。一週間ぶりなのにそれはまずいと思
う。
「入れ」
短い言葉だったけれども確かに聞こえたその言葉に顔を上げると石田先輩が傘を開いた。その言葉を期待して
いた私がいるのも事実だけれど、今日のこの雨あしを考えるとそれはありがたくない言葉だった。
「今日は雨が酷いですから、二人で使ったら二人とも濡れますよ。だから石田先輩が使ってください」
私は平気だと笑みを浮かべてそう言うと、先輩の無表情だった顔に僅かに怒りの情が混じった。そんな顔をさ
せたくて遠慮したんじゃないのに、不愉快にさせてしまったみたいだ。
「あの、先輩・・・」
「ならば私も傘を使わずに濡れて帰る」
「え!?いや、困ります!」
先輩は極端な人だ。喜怒哀楽、っていっても喜んだ顔と楽しんだ顔はまだ見たことが無いけれど、徳川先輩に
接する時の態度を見ているとそれを実感する。こう、なんていうか融通が利かないというか。頑固というか。
良い意味でも悪い意味でも昔の男って感じだ。お姫様抱っこしてくれたり頼もしいところはあるけど、
「ならば入れ」
「・・・・・はい」
再度力強く言われれば私が折れるしかない。大人しく傘の中にお邪魔すれば驚くほどに先輩との距離が近づい
た。相合傘は友達と何度もしたことがあったけれど、こんなに距離が近かっただろうかと肩が小さく先輩の二
の腕にぶつかって思った。ゆっくりと歩き出した先輩の靴に合わせて私も足を出すと、雨が革靴を叩いた。家
に帰る頃にはきっと水を吸い込んで駄目になってるに違いない。先輩の長い足が小幅にしか出されないのが自
分のためだと気づいて、余計に足元に神経を集中させるようにした。ていうか逆に石田先輩は何も思わないん
だろうか。私に聞きたいこととか話したいことは無いのだろうか。一応、なんだ。私のことが好きだって言っ
たのは先輩からなわけだし。
「先輩」
「何だ」
「私達、あの、一応付き合ってるんですよね?」
「ああ」
そこはしっかり肯定してくれるのか。安心感が湧いてほっと心中一息つくけど、さて。のりで話しかけてみた
だけに先の話を考えていなかった。どうもって行こう。メアド交換をしたのにメールをしてくれなかったこと
を責めてみようか。でもそんな細かいことを一週間ぶりの会話とするのも心の狭い女みたいで嫌だ。なら寂し
かったと形を変えて言ってみるのはどうだろう。うーん、まだ付き合って一週間なのに寂しいというのもどう
なんだろう。ていうか何か私ばっかりが気を回してる気がした。私のことを好きって言った先輩が気を引くた
めに頑張るならともかく、どうして私がいたたまれない思いをしなくちゃいけないんだろうか。先輩がするべ
きだ、これは。
「あの、先輩は私のこと本当にその、好きなんですか、ね・・・?」
思い返してもこの一週間、全く、驚くほどに何も無かった。このままじゃ遠足の流れ解散よろしく、いつの間
にかお互いに別の好きな人が出来て別れることになっても違和感が無い。実際その情景を想像できるのもまた
怖かった。私に興味が無いのかな、そう思ってしまう。
「、」
今日の暗雲を象徴するかのような不穏な思考を断ち切ったのは、石田先輩が呼ぶ私の名前だった。傘の中に響
いたその声に俯けていた顔を上げると唇に触れた柔らかいもの。すぐに離れたので一瞬幻かと思ったけれど、
間違いない。私とは逆の方向に逸らされた顔が、耳まで真っ赤になっていた。キスされた。別に嫌だとかそん
なのは無いし付き合ってるからするとは思うけど、そこまで照れる必要があるだろうか。そんなに恥ずかしが
らなくてもいいんじゃと赤い耳を見て思う。まさか石田先輩って姫抱っことか平気でしちゃうのに実はもの凄
い初心だったりするんじゃないだろうか。それならメールが一回も送られてこなかった理由も見当がついた。
ていうか私は凄い失礼なことを先輩に聞いてしまったんだ。眉間にしわを寄せてるのに耳が赤い石田先輩を見
てそれを実感する。怒らせてしまった。だけど本当に怒っているんじゃないことも石田先輩の顔を見れば分
る。何て声をかければ良いのか分らなくて、唯無言で歩みを進める。それに段々いたたまれなくなってきて、
こっちまで恥ずかしくなってきた。
「うそです、ちょっと、寂しかっただけです」
その言い訳の返事は繋がれた手。
先輩の肩がびっしょり濡れていることに、もっと早く気づくべきだった。
恋をするなら走った方がいい
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