※幸村の短編の続きです。が、そのままでも読めます。 「殿、殿!」 「はいはい」 早起きの夫は私が起きるまでには着替えてしまうけれど、そんな夫が唯一着 替えで私を呼ぶのは決まってネクタイを結ぶ時で、これだけは私が毎朝やっ てあげていた。幸村という我が夫はなかなか不器用な男なのだ。 ただ毎日人が結んであげてる最中に髪やら耳やら触ってくるのには何か腑に 落ちないものがあった。言ってもきかないのでもう放っておいてるけど。 「これでよし、っと!」 「うむ。では行ってくる」 「いってらっしゃーい」 必ずキスをしてから家を出る律儀な幸村の背を見送ったら、きちんと戸締り をして専業主婦もお仕事開始。・・・なんだけど。 「いやあー、お昼が楽しみだわあ」 自分の口から本当に楽しそうな声が出た。相当だね、これは。 実は昨日の恨みを今日返してやろうと幸村のお昼ごはんに持たせた弁当をい わゆるキャラ弁というやつにしてやったのだ。うっふっふっふ。弁当の蓋を 開けて恥を書けば良いのだ。そういったことに対して極度に免疫の無い幸村 は顔を真っ赤にして恥ずかしがるだろうし、会社の同僚達はそれを嬉々とし てからかうだろう。目に浮かぶ光景に今から幸村が帰ってきたときが楽しみ で仕方がない。顔を真っ赤にして抗議するんだろうなー。まあでも当然の報 いだよね。仕返しとしては妥当じゃないかな。 思い返しても昨夜は散々だったと思うんだ。やめてってお願いしてるのにや めるどころか余計に発情しやがって。可愛い顔して獣ですね、幸村君。言っ てやったら殿にだけだ、とか言うし。 ちょっと嬉しくなった私が馬鹿すぎて死にたい。あんなベビーフェイスでや ることはやるし。おかげで今朝起きたときは腰が壊れたかと思いましたよ。 だというのに何事も無かったかのようにさわやかに出勤する幸村くんは化け 物なんだろうね。違いない。結婚してから大分立つけど再確認したよ。 そういうわけで、ひとり何も無かったことにはさせまいと私のプチ復讐計画 がこの度実行されたわけですよ。あれ?私何で敬語なんだろう。 「ただいまでござる!」 残業が無かったらしい。珍しく定時に帰ってきた幸村の声が玄関からした。 よっしゃ、いっちょ感想を聞きにいくべ。拳をにぎって気合を入れて玄関に 迎えに行くと、そこには予想していたよりもご機嫌な幸村が立っていた。 鞄を受け取ってリビングへと向かう間にもニコニコとしている。何か言って くる様子がないのでキャラ弁の威力を無に返す程に良いことが会社であった のだろうかと考えてみる。それにしたって感想は聞きたい。一時間近くかけ て作ったのだから。 「ねえねえ幸村、なんか良いことあった?」 ネクタイを外してあげながら暗に弁当の感想を言えと目で迫ると、待ってい たと言わんばかりに幸村は瞳を輝かせた。鈍そうでいて、意外と分かってる んだよね。 「殿、まっこと美味でござった!」 ニコニコとしている夫の言葉に主語が無かったけれども、弁当のことを言っ てくれているんだと分かって安心する。これで何かあったっけ?とか返され たら叩くところでしたよ。偉いね、幸村。頭を撫でてあげたら頬を少し赤く した。うん、可愛い。だけどさ、幸村。私が求めているのはそういう反応じ ゃないんだよね。これは復讐なのであって、いや、愛妻弁当に間違いはない けれども。 「会社の人、何か言ってた?」 「うむ。佐助が殿の腕を褒めていたぞ!」 「ああ、そう?」 佐助さんに褒められるのは素直に嬉しいけどもね。違うでしょ、ゆっきー。 君は分かっていないよ。愛する妻が求めているのは会社で夫が赤面して恥ず かしそうに愛妻弁当を食べたことに対する感想なのだよ。 「あのさ、幸村、恥ずかしくなかった?」 ネクタイを取ってボタンを外してやると緊張がほぐれたのか、幸村がへにゃ りとだらしなく笑った。これは家でだけ見せる幸村の顔だ。 「それよりも嬉しい気持ちのほうが勝ったでござる!」 首を少しもたげて、恥ずかしそうに微笑む幸村は既婚者には見えない。この 初々ししさは私達が電撃結婚だからなのだろうか。アイドル顔に満面の笑み で喜ばれると何だか私が悪いことをしたような気持ちになってきた。いずれ にせよこの作戦は失敗だったらしい。はあ。一時間ちょいかけて夫婦の愛の 深さを皆に知らしめるだけのものになってしまったとは。そりゃ喜んでくれ たなら何よりだけど。次はもうちょっと考えて別の・・・・・。 「・・・あの、幸村?何?この手」 右手首と左手首をがっちりと掴む幸村の大きな手。私の顔を覗き込む幸村の 瞳には何かの意思を感じる。感じたくないような類の。 「某に出来る御礼は一つ、殿を全力で愛すことでござる!」 いや、もう十分ですから。 言おうと思った矢先に体が宙に浮いた。え?嘘でしょ?嘘だよね?昨日やっ たじゃん。今日もってありえなくない?一体どんな体力してるの?そりゃあ 幸村は体鍛えてるから体力は問題ないかもしれないけど私が駄目なんだよ? ねえ、そこのところ理解してる?こんな酷いことするからキャラ弁とか作っ て私が報復しちゃうんだよ?君はちょっと落ち着いて妻の事も考えてみるべ きだよ。みんなそう思ってるよ?ねえ、ちょっと。聞いてる?ちょっとちょ っと、嘘でしょ?ストップ。ストップ!止まれ!おい!止まってくれ!頼む から!!のお!日本語分かる?いいから!服はいいから話を聞いて!手を止 めてみようか、幸村君!それがいいよ!ちょっとーー!!! 何これ何これ、腹いせのつもりだったのにさ!完全に裏目に出てるよ!! 私の旦那様! もう勘弁してください。