「待て、何処へ行く」
 
 
やはり声を掛けられてしまいました。無視して通り過ぎてくれたらという私の願いは石田さんには届かなかっ
たようです。言葉を交わす機会が増えて、声を掛けやすくなったからでしょう。打ち解けたのはいい事です
が、それが仇となりました。こんなことなら藪の生い茂る裏道を通って行けばよかったのです。怪しまれない
ようにと逆に表の道を通ってきたことで、一番会いたくない方と出くわしてしまいました。疑うような眼差し
に、何でもないと言うように微笑みを返します。  
 
「これは石田様。お婆と薬草を取りに行く最中でございました」 
  
半分本当で、半分は嘘でした。しかし嘘だと思わせないように、私は婆と繋いだ手を振って見せます。石田様
は視線を私をから横にいる婆へとやりました。今年で六十になろうという私の婆は、この飢餓に苦しむ村にあ
って、長く生きた方でした。しわくちゃで痴呆も始まっていますが、まだまだ元気です。今日はそんな婆を棄
てに行く途中でした。食料が、もう底を付きそうでした。粟拾いの季節にはまだ早いのですが、そうも言って
られません。稲の収穫期を待たずして一家で飢え死にしてしまうのを避けるために、食い扶持を減らす必要が
あったのです。薬草を取りに行くという名目で婆を連れ出し、山へ置き去りにし、崖から落ちて死んだ事にし
なさいと。両親より言い渡されたのが昨日の夕べです。婆と握る手が、震えてしまいそうでした。肉親ですか
ら、騙す事に罪悪感を感じないわけがありません。当然心が痛みます。薬草を拾いに行こうと言った時の婆
の、穏やかな返事が私の胸を締め付けます。まるで分かっている、大丈夫。そう言いたげな返事でした。婆は
知っているのです。自分が捨てられる事を。婆の代よりももっと以前からあった姨捨ての風習ですから、知っ
ていて、当然なのです。  
 
「では、石田様。また後ほど」  
 
石田様は此処最近、よく寺院を出て村の中を散歩するようになりました。聞けば、体が鈍るのを良しとしない
のだそうです。しかし私は無闇に出歩くべきではないと思いました。でなければ、この村の恐ろしい現実につ
いて知ることになるからです。例えば、まさしく今私がしている姨捨の風習ですとか。そういった事を、私は
石田様に見せたくないと思っていました。なので早々にこの場を去ろうと、私は石田様に向って恭しく一礼を
して背を向けました。歩き出した直後、「私も行く」と言う石田様の声を聞いていなければ。聞こえなかった
ふりをすれば、全ては其処で終わっていたはずでした。何故、私は振り返ってしまったのでしょう。 
 
「もうじき日暮れだ。山賊が出ると聞いている」
「それはそうですが、石田様の手を煩わせてしまいますので」
「構わん」  
 
ああ、どうしてこうも上手く行かないのでしょう。お侍様は頭がいいといいますから、会話からこちらの意図
を読み取る事は造作も無いと思っていました。それとも石田様は姨捨に行く事に気がついていて、わざと邪魔
をしているのでしょうか。どちらにしろ、これでもう今日は婆を捨てに行く事が出来なくなりました。仕方な
く、私は婆と石田さんを連れて意味の無い薬草拾いに向います。生い茂る草を掻き分け、山の奥へ奥へと進ん
でいく私達の少し後を、石田さんは付いてきます。途中で巻いてやろうかとも考えましたが、おそらく無理で
しょう。ある程度行った所で、婆と一緒に腰を屈めて薬になりそうな葉を探し始めました。その際、一瞬申し
訳なさそうな目をした婆と目が合ったのですが、堪らなく、私は惨めな気持ちになり顔を地面に俯けました。
大好きな婆一人養う事が出来ず棄てなければいけなくなった上に、こうして失敗して気まで使わせてしまった
事が情けなくて仕方がなかったのです。
 
「婆、ごめんなさい」 
  
呟くように言った言葉でした。耳の遠い婆には聞こえないはずです。しかし木の幹に背を預けて、こちらを見
る石田さんには届いてしまったかもしれません。私が世話役になった日から、石田様は私をよく気にかけてく
ださいました。理由は分かりませんが、一番身近にいる人間だからかも知れません。有難い事ですが、今回ば
かりは大きなお世話でした。薬草を取り終わり、私は立ち上がります。もう十分でした。薬草など、初めから
必要としていません。適当なところで切り上げて帰ろうと、石田さんに声を掛けに行きます。着物姿にも刀を
欠かさない石田さんに声を掛けた矢先、それまで黙って閉じられていた彼の口が開きました。 
 
「動くな」 
 
冷たく、鋭い眼光が私を射抜きました。まるで蛇に睨まれた蛙のように、私は竦みあがります。粗相をしたわ
けでもないのに冷や汗が訳も無く背を流れます。また何か粗相をしてしまったのかと、初めて寺院で顔を合わ
せたときの石田様を思い出しました。婆はどうしているでしょうか。背後の草むらに置いて来てしまったの
で、分かりませんでした。石田様が刀を抜きます。いよいよ怖くなり、私は手にしていた薬草を取り落としま
した。斬られるのでしょうか。 
 
「丁度いい。一人残らず斬滅してやる」  
 
一人残らず。それはつまり、一人以上いると言う事です。婆と私だけを言うならばその表現は間違っていると
思い首を後に回せば、そこには数人の男達の姿がありました。山賊です。此処最近、この村の場所を知った人
間が穀物を狙ってやって来ていると村長よりお触れが回っていました。婆が危険です。
   
「婆!!」
「動くんじゃないッ、!!」 
  
石田様の言葉を理解して従ったというよりも、怒号に体が怖気づいて動けなくなったのが正しいといえまし
た。その場で私が固まった拍子に、石田さんは敵へと向っていきます。全ては一瞬でした。何が起こったの
か、全く分かりません。瞬きをした間に全てが終わっていたのです。山賊が一人残らず地に伏している中で、
刀を鞘に収めた石田さんが立っているだけでした。呆然として彼の後姿を見ていましたが、蹲っていた人間の
一人が立ち上がったのを見て我に返りました。婆です。  
 
「ばば!ばば、大丈夫!?」
「・・・」 
  
急いで駆け寄り婆の体を抱え起すと、擦り傷が肘に見えた以外には目立った傷はありませんでした。安心し
て、一つ息を吐きます。地面に膝を突いた婆は、息を切らしながら私に言いました。 
 
「ごめんね、。死ななくて、ごめんね」
   
その瞬間、私の頭の中で何かが破裂しました。婆を棄てた私がするのも可笑しな話だったのですが、ともかく
そうせずにはいられませんでした。婆の頭を軽く、一叩きしました。驚きに目を開いた婆は、何故自分が叩か
れたのかを分かっていないようでした。死ねばよかったと思っているに違いありません。まるで先程までの私
のようです。婆を一度きつく抱きしめた後、私は立ち上がりました。倒れた山賊達の生死を確認している石田
様の背に近寄り、声を掛けます。こちらを振り返った瞳には、特にこれといった感情は見られませんでした。
 
「石田様、ありがとうございます」  
 
頭を下げると、彼は眉を顰めました。何故かは分かりません。後ろめたい事でもあったのでしょうか。しかし
どうであれ、私には石田様へお礼を言う義務がありました。
 
  
「貴方様のおかげです」
「・・・私は何もしていない」  
 「いいえ、助かりました」

自分が如何に愚かなことをしていたのか、分かったのです。幾ら飢えていようが、自分の家族を捨ててまで生
き延びるという考えはやはり間違いでした。私自身、この悪習に疑問を持ってはいましたが、両親にそうする
事が普通であると教えられてきたので、正しい事だと思うようになってしまっていたのです。感覚が麻痺して
いたといえます。もし今日、石田さんがあの場で現れずに私がそのまま婆を棄てに行っていたら、私は罪悪感
と後悔と自責の念を背負って一生を生きる事になっていただろうと思います。今、婆が目の前にいて生きてい
る事が分かり、私は喜びました。それが正しい反応で、私の正直な気持ちだったのです。気づかせてくれたの
は石田様です。石田様はそんな事、お気づきにはなられていないかもしれませんが。現に複雑そうな、不可解
な者を見るような目で私を見ています。 
 
「石田様、石田様はお優しく、素敵な武将ですね」  
 
お世辞ではありません。彼が敗将なのだとしても、私は彼を心から尊敬しました。私の言葉を聞いた石田さん
は今度こそ「解せぬ女だ」と言ってそっぽを向かれてしまいましたが、その耳が少し赤くなっていたので、照
れているのだと分かりました。婆はそんな私と石田さんを見て笑いました。私もつられて笑って、そうして三
人で和やかな雰囲気のまま山を降りて来ました。家に帰ったその日、私は婆を捨ててこなかった事を両親に酷
く責められました。罰として自分の分の飯で婆を食わせろと言われましたが、それで捨ててこなかった事を後
悔したりすることはありませんでした。むしろこれでよかったのだと、誇らしい気持ちにすらなりました。自
分が人間らしい事をした証です。石田様は戦に負けて落ち延びて来た哀れな人間であると母は言いましたが、
彼を私にとって本当に、本当に尊敬する人間になりました。大切なのは、自分がどう思うかです。
 
 
 


 
 
 
 
 
長月に入って、秋が近づいてきました。
とはいっても着物はまだ薄いままで、遅く生まれ出てきた蝉達も未だ五月蝿く鳴いていました。相変わらず熱
いままです。変わったことといえば、石田様がこの村の英雄的存在になった事でした。あの一件以来、度々山
賊が村へと入ってくる事がありましたが、いずれの危機にも石田さんが全て対処をしてくれました。とっつき
難いお方ですが、おかげで老若男女問わず村の全ての者から慕われるようになりました。そんな石田様でした
が、彼のお世話をしたいと申し出る人が現れると、私がいるので足りていると言って体よく断ってしまわれま
す。そういうわけで石田様のお付は未だ、彼が村へと来る以前から率いていた従者の方と私の三人のみでし
た。幾らかの人はもうなくなっています。それからその関係でもう一つ、変わった事があります。同じ頃に、
村の存在を何処で知ったのか、わざわざ山を越えて人がやってくるようになったのです。それが町の人間であ
ればまだ良かったのですが、石田様を探しに来たという徳川の使いだったものですから、もう大変です。村の
もの全員で石田三成様の存在を隠蔽していますが、いつ気づかれるかと思うと気が気でならなくなりました。
それでこの度、石田様の住まいを寺院から裏山の洞窟へと移す事にしたのです。英雄であると言うのに、暗く
狭い洞窟に押しやられてしまう事は不憫でなりませんでしたが、見つかってしまうよりはとの、村人全員の苦
渋の判断でした。それに合わせて私の通い先も、寺院から洞窟へと変わったのでした。 
 
「三成様、起きていらっしゃいますか」  
 
山を降りてきた日から、私は石田様に下の名で呼ぶよう求められました。身分を持たぬ一介の農民からすれ
ば、随分と不敬な事であると断ったのですが、そう言うと大層腹を立てられたので仕方なく、三成様と呼ぶ事
にしたのです。当然、この村において彼を下の名で呼ぶのは私だけです。特別なようで嬉しくありましたが、
それは同時にまた、苦しくもありました。そうです、苦しかったのです。私は三成様をお慕いしていました。
誰も見ていない事を確認して洞窟の中へ入ると、暗闇の奥で蠢く者を目が捕らえました。三成様に間違いあり
ません。蝉の音が遠くなるのを耳にしながら、彼の元へと歩み寄ります。湿った空気が肌に纏わりつきます
が、外と違って涼しいのが幸いでした。色の白いお顔が闇に浮かび上がります。
  
「三成様、今日も徳川の使いが村へやって来ました。段々と来る間隔が短くなっているように思うのですが、
やはり気のせいではないかと」
「ヤツめ・・・。とうとうこの場所も嗅ぎ付けたか・・・」 
  
ここに来てまず始めにすることは、徳川の使いについての報告です。自分自身、此処まで来ると唯の世話役で
は無いなと思うようにはなっていましたが、三成様のお役に立てるのは嬉しい事だったので、嬉々としてお役
目を果たすことにしていました。三成様は忌まわしそうに呟いたきり口を閉ざしてしまわれましたが、私が昼
飯にと差し出した握り飯は受け取って食べてくださいました。水がなければ食べ難いだろうと思い、竹筒に水
を足してこようと手に取り立ち上がります。
 
「、日が落ちてからにしろ」
「はい、三成様」
   
三成様が見つかるような事があってはなりません。夜にこっそり汲みに行こうと改め、竹筒をしまいました。
三成様がどういう経過を経てこの村まで落ち延びてきたのかは未だ知りませんが、ともかく私は三成様を庇い
たいと思っていました。生きて欲しいのです。幸い、村のものは皆石田さんの味方でしたから、内通者がいな
い限りはこの場所がばれる事は無いはずでした。安心した私はすることもなくなり、襲い来る眠りへと身を委
ねました。硬い岩の上でも、寝ようと思えば寝れるようです。意識を手放すのに時間は掛かりませんでした。
三成様の生きる目的は、一体なんなのでしょう。三成様がこの村を出るとき、私はそのお手伝いを出来るでし
ょうか。出来ることならこのままずっと、石田様の側にお仕えしていたいものです。  
 
「」
   
次に目を覚ましたのは、石田様のお声ででした。目を開けても真っ暗な洞窟ではあまり意味がありません。視
界が利かず、三成様の居場所が分かりませんでしたが、声でおおよその位置だけは把握できました。どうかし
ましたかと聞こうとして、洞窟の入り口より見えた光りに声を引っ込めました。洞窟の中では声が反響してし
まいます。この近くに人がいるならば、やたらに声をあげてはいけません。居場所がばれてしまうかもしれな
いからです。代わりに三成様のいる場所まで行き、その側に身を寄せました。明かりが良く見える位置でし
た。明かりの正体は松明の火です。蛍であればよかったと、そう思わずにはいられません。 
 
「村のものでしょうか」  
 
三成様から返事はありませんでした。
何事かをお考えになられているのかもしれません。私もまた、視線を三成様から明かりへと戻します。人の影
は見えませんが、草むらを行き来しているようで、火がふらふらと右往左往していました。随分と不安定な動
きです。このような裏山に目的があって来た人間が、あの様な動きをするでしょうか。まるで、何かを探して
いるかのようです。  
 
「三成様」
「何だ」
「あの、明かりは」 
 
村のものが灯しいている明かりでは無いと、悟りました。村のものならば、松明を持たずともこの場所までや
って来れるからです。あれはつまり、徳川の従者が村の者が寝静まった夜を見計らって石田様を探しに来た明
かりに違いありません。 
 
「嫌な予感がします。追っ手かもしれません」  
 
耳打ちをします。三成様は微動だにせず、私の話を聞きました。まだまだ、あの明かりがこちらへ向ってくる
には距離がありましたが、それも時間の問題でしょう。岩に引っ掛けてあった三成様の陣羽織を手にして、彼
に向き直ります。 
  
「逃げましょう」
   
村のものであったとしても、警戒はするべきです。三成様と洞窟を出て、裏山へと続く道を進んでいきまし
た。藪が生い茂る中を、極力音を立てずに進みます。前を行くのは私です。あの松明を持った従者の仲間がい
て出くわさないとも限りませんので、素早く三成様を逃がすために、私が先導役を買って出ました。着物が夜
露に濡れ、体温が奪われていくのが分かりましたが、それを気に掛ける余裕はどこにもありません。いよいよ
この時が来たかと、不安に胸を押しつぶされてしまいそうで、それ以外を考える余裕は全くないのでした。三
成様は今、どんなお顔をなさっているのでしょう。振り返りたいようで、見たくも無い気がしました。いつど
んな時でも、三成様はお会いした時に、欠かさず刀を腰に差していました。今思うと、それは武士であること
を主張していたのではなく、いつでも逃げられるようにと思ってしていた事だったのかもしれません。その事
に、寂しくなりました。最初からこうなる事が決まっていたかのようです。夏とはいえ、夜は冷え込みます。
藪を分ける手が寒さにかじかみ、体中の血が凍り付いてしまいそうでした。しかしそれに反して心臓はどくど
くと、これまでになく高鳴っています。村の、離れまで来ました。無事にここまでは逃げてくる事が出来まし
た。泣いてしまいそうな気持ちを堪えて足を止めます。後を来ていた三成様も、私に気づいて足を止めまし
た。
 
「何をしている、」
「私は、村へ戻らなければいけません」
「・・・何だと?」  
 
此処に来て何を言うのかと言いたげなお顔でした。三成様からすれば、此処まで来たのならば一緒に逃げるの
が普通と言いたいのでしょう。それは間違ってはいません。私も此処まできたら普通はそうするだろうと思い
ました。出来るならばこのまま三成様と共に逃げて、何処までも何処までもお供をしたいです。しかしそうす
るには、私を引き止める者たちの顔が頭をちらついて邪魔でした。 
 
「私が行けるのは、ここまでです。この先は、一人でお逃げください」
「何を言っている」
「私には、家族がいます、働き手が足りません。食べ物もありません。婆もいます。三成様と一緒に行く事
は、出来ません」
「それがどうした。・・・、私と共に来い」 
 
蝉の声がします。真剣な場面であるのに、そのせいでどこまでも緊迫感の無い雰囲気になっていました。お別
れの場面とはこの程度の感慨も何も無いものなのでしょうか。あまり別れを知らぬ私には分かりません。三成
様は幾千の別れを戦場で経験しているでしょうが。三成様と目が合うと、いつもの鋭い瞳が私を射抜きまし
た。出会った日からその瞳に宿った強い光りは衰えていないようでした。安心します。それでいいのです。私
は付いて行ってはいけません。共に行けば、私はその瞳から光りを奪うだけでした。 
 
「お別れです、三成様。お慕いしておりました。どうかお元気で」
「私を好きだと抜かすのであれば、尚更共に来いッ・・・!!」
「私は、三成様の足枷にしか成りません。お分かりのはずです。ですからどうか、このまま振り返らずに真っ
直ぐにお進み下さい」 
  
三成様が声を荒げられます。不機嫌な声と怒号は知っていましたが、悲痛な物言いをするところは初めて目に
しました。私がそうさせているのですが、何とも嬉しく感じました。不謹慎でしょうか。しかしお慕いしてる
方の新しい一面を知るというのは、女にとって嬉しい事でした。このまま真っ直ぐ行けば、越えられぬような
川にたどり着きます。渡らずともそれを更にずっと辿っていけば、いつかは村へとたどり着くはずでした。そ
うして永遠にこの村とはお別れです。私とも。お別れです。
 
「お慕いしております。どうか、死なないで下さい」
  
頭を下げます。堪え切れずに歪んだ顔を隠すために、そうせざるをえませんでした。私は、三成様に教えられ
ました。自分の思うとおりの生き方を貫く人間は、大変美しいです。武士の生き方はそんな我を通す生き方だ
と思いました。あの日、私は婆を棄てなくて本当に良かったと思っています。そう思ってしたあの選択が、三
成様の生き方に近かったのなら、良いのですが。
此処で三成様一人を逃す事は、一番良いやり方であると思います。私情に流されては生き延びる事など出来ま
せん。こればっかりは、三成様が望まれても断固として反対でした。また、私程度の人間が三成様を望んだり
など、おこがましくてとても出来ません。ですが三成様に対して恐れ多くも望む事がありました。持っていた
陣羽織を三成様にお返しします。今生の別れです。目を合わせて、しっかりと最後の言葉を口にします。 

「生きると言ったとおりに、生きてください」  

寺院で、私に強く言った言葉です。忘れているとは言わせません。その言葉に目を見開いた三成様でしたが、
やがて目を伏せられました。そして幾ばくかした後、目を開いた三成様は手早く陣羽織を羽織られました。も
うその瞳に迷いは無く、私を映してはいませんでした。羽織り終わると、真っ直ぐに私の横を通り過ぎます。
草を踏みしめる音が耳に響きます。それでいいのです。足音が小さくなるのに寂しさを感じますが、私は決し
て振り返りません。振り返ってはいけないのです。白い背が遠くなるのを頭の中に思い描き、足音が完全に聞
こえなくなったところで、私も踵を返しました。お互いの生きる道は違いますが、生き方は同じです。最後ま
で彼が武将であるように、私も己の道を通して生きようと思います。敗将などとは言わせません。彼は私の英
雄です。
山を降りて村へと戻ると、やはり他にも追っ手がいたようです。松明の明かりが数を増していました。もうい
るはずもないのに、ご苦労な事です。思わず口の端に笑みが浮かびました。明日、私は彼らの為に洞窟の前に
三成様のお墓を建ててあげようと決めました。そして涼しくなったら、婆と共に薬草でも供えに行こうと思い
ます。菊の花は、欲しく無いでしょうから。
 
 
 
 
 

夜明け前、私は鵺が鳴くのを聞きました。
夏はもう、とっくに死んでいるというのに。
 
 



 

その後、彼が掴まったという話も、生きていると言う話も聞きません。どうなったのでしょうか。今日で三年 が経ちます。元号は江戸となり、徳川幕府が間もなく開かれると言う報せが、この僻地の村にも届きました。
長月物語
参考 楢山節考 史実っぽく書けて満足です。丸無視してますけども!ここまで読んで下さりありがとうございました!