花も折らず実も取らず













その日の天気は曇りで、連日続いた晴れ間の天気がここに来て崩れるという
予報どおりになった。
バサラ学園に早朝から登校してくる生徒はそれほど多くなく、自由な校風が
逆に生徒の気の緩みに繋がって遅刻を多くしていた。しかしだからこそ良か
ったのかもしれない。
朝のまんねりとした中だるみの水曜日にあって、女子が男子の頬を叩くとい
う一大事件が起こった。校舎にいた数少ないラッキーな生徒達だけがその音
を聞いたという。
曰く、あの伊達政宗が女に殴られた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

苛々する。苛々して仕方が無い。
いっそグーで殴ってやればよかったんだ。ジンジンと熱を持つ手のひらに反
して涼しげな目の前の顔を歪ませてやるためにも。
 
 
 
「言ったでしょ、つるちゃんに私のこと」
 
 
 
昨日の今日で時間を置いて収まるかと思っていた怒りは一晩寝かせたおかげ
で煮えきる寸前まで来ていた。
一緒に怒られようと私が言った約束を守るために朝早くに学校に来ていた政
宗君を、その前に話があるからと手を引いて図書室に向かった。
朝の静かな図書室に自分の声が響くのが恐ろしく空しくて、怒りに任せて手
を振り上げていた。
 
 
 
「政宗君、言わないって言ったよね」
 
 
 
突然の平手打ちに呆けるでもなく、ただ政宗君は私を見下ろしていた。
相手が女の子だったらここで言い合いの喧嘩になるところだけど、政宗君は
落ち着いた様子だった。
 
 
 
「あいつはお前をそんな風に見ちゃいねえ。分かってんだろ」
 
「分かってるよ!!でも言うこと無いでしょ!」
 
 
 
完全な開き直りの言葉に腹が立つ。
ここまで大声を出すのは久しぶりなんじゃないだろうかというくらいの怒鳴
り声が出ていた。引っ叩いた頬が赤くなっているのにその冷静な態度は何な
んだろうと言いたい。馬鹿にしているのか。
私がつるちゃんの事を話すのを政宗君はいつも望みが無いのに愚かなことを
していると思って聞いていたんだろうか。だからこんなことをしてあきらめ
させようとしたのだろうか。どちらにしろ、
 
 
 
「言わないって言ったのに何で言ったの!!?」
 
 
 
約束したのに。
これでもう私の思いを知ったつるちゃんは私のことを以前のようには見なく
なるだろうし、もし気にしないのだとしても知ってしまったことに変わりは
無いんだからこれまでのようには行かない。
あれだけつるちゃんのことを好きだと政宗君に話していたのに、それを知っ
た上で鶴ちゃんにバラすなんて裏切り以外の何ものでもない。
 
 
 
「酷すぎる・・・」
 
 
 
信じてたのに。男の子とは話もしないし一切関心も無かったけど政宗君とは
仲良くなれると思った。政宗君が抱える傷を私に見せてくれたから、異性で
も友達になれるんだと嬉しく思った。初めて出来た男友達だと思ったのに。
鼻の奥がつんとしてたまらず俯く。
 
 
 
「・・・だったら、アンタはどうなんだ」
 
 
 
怒りを含んだ声が突然頭上からした。
何が言いたいのかと言い返せば良いのに、何故か私はそれが出来ずにその言
葉に固まる。
 
 
 
「気づいてたはずだ。知らなかったとは言わせねえ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ひとつ、教科書を貸してと頻繁に頼られる理由。
ふたつ、レズだと打ち明けた時の驚きではなくショックに近かった顔。
みっつ、つるちゃんとお揃いのワンピースを見たがらなかった理由。
よっつ、眼帯をとって私に見せた理由。
いつつ、私を引き止めた理由。
 

全部、気が付いていた。順に並べていった事に政宗君が言う。
 
 
 
「酷いのはどっちだと思ってやがる」
 
 
 
私を責める低い声に今度こそ涙が出た。
そうだ、私は知っていて気づかないフリをした。政宗君が私の知らないふり
に気づいていたことも分かっていたけど、それでもあえて知らないフリを続
けた。でもそれは全て政宗君のためでもあった。
いつか私に告白してくれた男の子の後姿が思い出される。報われない。私が
つるちゃんを思っても報われないように。それなら言わない方が良いと思っ
て政宗君を拒絶することにした。でなきゃ政宗君が隙を突いて告白してくる
だろうと思った。
私がこんな酷い方法を取ったから政宗君も今回の手段に出たんだろうと思う
。私だって政宗君の好意に気がついててわざとそういう態度をとったのだか
らどっちもどっちだけど。
 
 
 
「でも政宗君は言わないって、信じてたんだよ・・・」
 
 
 
完全に私のわがままだと分かっているけど、それでも政宗君とは友達でいた
くて。だけどそう思ってしていたことが政宗君を傷つけるだけにしかならな
かったとつるちゃんに言われて分かった、政宗君の気持ち。
怒るのは私じゃなくて政宗君のほうだ。分かってる。
だけど、どうしてもつるちゃんに言ったという事実だけは許せなくて。
 
 
 
「」
 
 
 
申し訳なさと遣る瀬無さで顔を上げられなくて床に落ちる雫を見つめる。
政宗君の私を呼ぶ声はさっきと違って優しくて、責めてるわけじゃないと言
っているようだった。
 
 
 
「俺じゃ駄目か」
 
 
 
その言葉と共にふわりと抱きしめられる。
大きな胸の中は暖かい。聞こえてくる心臓の音にじんわりと涙が出てきて、
そのまま政宗君のシャツに染み込んでそこを濡らした。
優しい。
政宗君は優しい。
私の秘密を知っても真正面から受け入れてくれたし、こんな馬鹿な私のした
事を許してくれようとしている。政宗君が私の肩に額を乗せる。
普通の男の子にやられたら絶対に嫌だと思うけど政宗君だから嫌悪感は無か
った。背が高い、回された腕の逞しさに男の子なんだと今更実感した。
政宗君がモテると言うのが分かった気がする。素敵な男の子に私は好かれた
んだ。私みたいな地味な人間にそれは凄く光栄なことだ。
嬉しい。本当に嬉しい。
だけどでも私はこの背に腕を回して抱きしめ返すことが出来ない。これまで
がそうだったように急には変われない。変われないんだよ、政宗君。
こんなにも私のことを思ってくれているのに、私は答えてあげられない。
謝ることもお礼も出来ない。返す言葉も見つからなくて、軽い気持ちで背中
に腕を回して慰めてあげることなんてもっと出来ない。ただ私の最初に告げ
た事実だけが答えになって残ってしまう。
 
 
 

「分かってる、けど諦められねえんだよ」
 
 
 
政宗君が言う。
苦しそうなその声に、初めて話した時に浮かべていた政宗君の苦い表情が思
い出されて、私がこれからも政宗君を苦しめる存在なんだと悲しくなる。
 



 

ねえ、私達ってどこまでも報われないね。
だから嫌だったのに。




「離れて」









end
※番外編が実質の最終話ですけど、初っ端からあれなので各自の判断でどうぞ。