5 朝の昇降口。生徒や先生が忙しく行きかう中では、何とも言えない雰囲気で向き合う私と 石田君の姿を気に留める人は一人もいなかった。早くに登校して石田君を待ち伏せする作 戦にして良かったと思った。学生鞄を左手に持ったままの石田君は、昨日最後に見た無表 情のままで、私を瞳に捉えていた。 「石田君、私のこと嫌い?」 「何故そんなことを聞く」 「答えてよ」 昨日、考えた。考えて考えて色々考えた挙げく、石田君は私を嫌いなんだろうかという素 朴な、だけど重要な疑問にぶち当たった。全てはこの質問に対する答え次第だ。 初めて会った時に「一生その醜く超えた体型のままでいろ」と言われたことや、昨日かす がが電話で教えてくれた情報からすると、体型の事で私を貶せなくなるのが嫌なんだろう から、多分私の事が嫌いなんだと思う。別にそれならそれでいいんだ。嫌われるのはもう 慣れっこだし。ただはっきり本人の口から答えを聞いておきたかっただけのこと。 「答えて、貴様はどうする」 「嫌いならもう関わらないようにするし、迷惑ならお弁当を持ってくるのも止めるよ」 それが一番だ。ダイエット仲間が減るのは心許ないけれど、もともとやせている石田君を 付き合わせるのはやっぱり酷だし。石田君の眉がぴくり、不愉快そうに歪んだ。 昨日、夜食にお菓子プラス夜更かしのコンボをしたせいで体重計の針が前日比2キロ増し の数値を示した私だけど、やっぱり石田君を頼ってはいられない気がした。かすがに協力 を頼もうかな。だけど。 「私のことが好きというか、嫌いじゃないならまだ少しダイエットに付き合って欲しいか  な。昨日また食べ過ぎて太っちゃったんだ」 迷惑じゃないならお弁当もまた持って来るよ、と付け足す。ちなみに今日も石田君の分の お弁当は持ってきた。少し違うのは、おかずに野菜が入っていること。一応私なりの昨日 のお詫びのつもりだった。復讐は一旦お休み。「野菜は好き?」と明るく言って石田君に 聞くと、彼の眉は先程よりも思いっきり顰められた。 「貴様のその態度、反吐が出る。虫唾が走る。不愉快極まりない」 「そっかあ」 ではどうすれば石田君の癪に触れずに済むのだろうか。言ってくれなきゃ分からない。 というかむしろ私の方が石田君のその態度に、やりすぎ。ひどすぎ。意味が分からない。 と返したいところなんだけどなあ。 そもそも、昨日どうして石田君が怒ったのかその理由も未だに分からないし。口に出して 言ってくれなきゃ伝わらない事ってたくさんある。勇気が要るけど、本当に大切なことだ と思う。「具体的に言ってよ」聞けば、返事はすぐに返ってきた。 「愚鈍で、人をおちょくる様なその態度だ」 「ぐどん?どこが?」 「そのとぼけた聞き返し、それを言っている」 「・・・ごめん、分かんないよ」 「ならばいい。貴様は一生そのままだ」 そう吐き捨てると、石田君はさらりと身を翻した。もう言いきったと言わんばかりに。 あまりにあっさりとした口調とスタスタ流星の如く歩いて行ってしまう長い脚。終わりを 予感した私はそれが嫌で、咄嗟にその背中を追いかけ駆け出した。 「ま、待ってよ!!ねえ!!!私謝るから!!」 後姿は遠ざかるのをやめない。私の一体どこが悪いという。何をしたという。理由もなく 突き放すののなんて酷いことか。保育園でも小学校でも中学校でも高校でもどこに行って も「ちゃんって酷いね」と散々言われて絶交されてきた思い出があるけれど。 けれど。私は馬鹿だから理由を言ってくれなきゃ分からないのだ。ある日突然無視される のが一番辛いことで。私に問題があるにしても、あまりに理不尽だ。 昔の思い出と今の現状が混じったせいか、長細い背中に向かって叫んだ私の声は涙混じり になって震えていた。 「謝るから理由を言ってよ!!私石田君に何かしたの!!??」 小さい頃に私に向かって、「君が好き」と言ってきてくれた男の子がいて、だけど私は男 の子が俯いて給食の目玉焼きを見ていたから、それを指しているんだと思い込んだ。 それで「私も黄身が好きー」なんてアホの子丸出しで返事をして後で意味を知って謝った 記憶がある。今でこそ笑いごとだが、あの時のような相手を大泣きさせるような事はした くないのだ。私の剣幕に驚いたのか仕方がないと呆れたのか、多分後者だろう。石田君は 足を止めてこちらを振り返ってくれた。ただ私が泣いているのは予想外だったらしく、 ぎょっとしたような顔で私を見て、一瞬気まずそうにした。 「なんでそう、石田くんは酷いことばっかり言って振り回すかなあ・・・」 ダイエット失敗、リバウンド、その発端、原因を作ったのは石田君の言葉だ。八つ当たり かもしれない、でも石田君が大きく関わっている事に変わりは無いから、言い過ぎでも無 いだろう。袖で涙を拭う。だけどそれを言った瞬間、石田君の纏う雰囲気はピリリとした ものに変って私を鋭く睨んだ。 「ほざけ。私を振り回しているのは貴様の方だろうが」 「・・・石田君だって、女の子に向かって醜いとか肥えてるとか、酷すぎる」 「どの口がそれを抜かす。貴様こそ散々に人を罵っておきながら、自分の事は棚上げか」 ぞっとする。恐ろしいのは石田君の低くて怜悧な声では無く、自分の自覚の無さだ。今言 われてようやく気づくなんて。散々に石田君を罵って傷つけていたらしい私は、その覚え が全くなかった。だから、人に嫌われるんだろうと思う。だけど本当に、いつどこで。 自分がしてきたこれまでの発言の一つ一つ、その全てが人を傷つけていたんじゃないだろ うか。考えるほどにそんな気がしてきて、次の言葉が紡げなくなった。謝った方が良いの か弁明した方が良いのかも分からない。 石田君を見ると、廊下で初めて会った時のような不愉快そうな目で私を見下ろしていた。 せっかく二三日前まで仲良くやっていたのに。自分が原因だけど、凄く悲しくなった。 「でも私・・・、石田君のこと好きだよ」 嫌わないで。と、自分が言えた立場では無いけれど頭を下げてお願いした。異性だけど、 友達になりたい。復讐から始まったのだとしても、やっぱりドロドロした関係で終わるの は嫌だ。一緒にマラソンに付き合ってくれたし、私の復讐の意図にも気づかず油ぎった弁 当を食べてくれた。石田君が実は優しい人だって、気づいてる。とっくに知っていた。 そんな石田君と絶交になったら、せっかくお知り合いになれた吉継君とだってもう話せな くなる。そんなの嫌だ。 「ごめんね」 誠心誠意頭を下げて謝罪をする。石田くんは許してくれるだろうか。どんな顔をしてどん な気持ちで私の謝罪を受け取ってくれるだろうか。どうか許して欲しい。 周囲がざわざわと喧しくなってくる。さすがに頭を下げる女子とそれを前にする男子の図 は目に付くのだろう。ひそひそとした声が耳に入ってきた。 「もういい。顔を上げろ」 許しなのか諦めなのか、周りの目を気にしてとりあえず言った言葉なのか。分からないけ れど従うしかなかった。恐る恐る顔を持ち上げる。と、石田君を目に入れる前に私の体に ガツンと。何故か鈍い痛みが走った。それは肩や二の腕、果ては背中にまで及んでいた。 痛みに呻く私の鼻を突いたのは石田君の匂い。抱きしめられていた。 「これのどこが肥えている」 「え・・・?」 「肥えていようがやせていようが貴様は貴様だ」 「ま、まって・・・」 どういうこと。何故私は抱きしめられている。背中に回された石田君の手が少し動いて、 そのくすぐったさに身を捩るが石田君の腕はびくともしない。細いくせにどこにこんな力 があるんだ。一人混乱する私を置いて、石田くんは続ける。 「何故私が貴様のような女を・・・」 「え?あの、石田君?ちょっと話が見えないんだけど・・・」 「貴様が気づくまでに、どれだけ苦労したことか」 「待ってよ、気づくって何が?」 「だが」 気づくって何。話が全く噛みあって無いんだけど。石田くんは一体何の話をしているんだ ろうか。貴様のような女をとか、フラグの立つ会話をしていた記憶が先程までも今までも 全くしていた覚えが無いんだけれども。それとも私はまた何か無意識で失言を飛ばしてい たんだろうか。待て、それなら良く考えなければ。何か言ったはずだ、例えば石田君が好 きだとかそういう勘違いさせるような・・・・・・・。好き、とか。好き。・・・とか。 さっき言ったような。 「あ、・・・告白?え、今の告白の好きだったの・・・?」 「・・・」 「ええ!?石田君、私の事好きだったの!?」 目を丸くして何が起こっているのか分からないと言いたげだった石田君の顔が、次の瞬間 私の言葉を理解したのか、ぼっと茹蛸のように耳まで染まって赤くなった。何それ知らな かったよ!!と口元を手で押さえて驚きに目をむく私に、肩をふるり震わせた石田君は、 きっと鋭い目で私を睨んで、「貴様のその無神経な性格!!反吐が出るッ!!!!」と怒 り狂ったように叫んだ。しかし私を抱く腕は緩まない。 そういうわけで、抱き合う男女が朝の登校時間に昇降口で罵りあう様子は全校生徒の注目 を否応に集め、いつだったか噂されたハンガーカップルの名が確実なものとなったのだっ た。通りがかった吉継君が「やれ・・・ようやっとくっ付いたか」と冷静に言っていたの が凄く心に残っています。以上、ダイエット失敗です。
やせたい!!
2キロのリバウンド。